紅葉狩りとは何ぞや!~由来から学ぶ意味と楽しみ方~

紅葉狩りとは…由来や意味を知る!

秋になり山々が色づき始めると、テレビでも雑誌でも話題になる「紅葉狩り」。
よく耳にしますが、紅葉狩りって一体何なんでしょう?

そもそも「紅葉」の読み方は「こうよう」と「もみじ」の2通り。
漢字は同じなのに、読み方によってその意味が変わってくるようです。

よく耳にしますが、紅葉狩りって一体何なんでしょう?

一般的に「こうよう」は、秋冬が近付くにつれて木々が赤や黄に色付く様子を指し、
「もみじ」は楓の葉っぱが赤く色付いた物を指す事が多いですね。

紅葉狩りは「もみじがり」と読むので、
紅葉狩りにおけるターゲットは赤くなった楓の葉っぱという事でしょうか。

 


スポンサーリンク

 

もみじを狩ってどうすんの?

いちご狩り、ぶどう狩り、きのこ狩り…色んな狩りがありますが、
帰宅時には必ずと言っていいほどそれぞれの収穫物がお土産となってついてきます。
持って帰ると美味しい思いが出来るし、食費は浮くしで家計も大助かり。

もみじの場合はどうでしょう。

芸術を好む人や子どものいる家庭なら落ち葉アートを作ったりするのでしょうが、
そうでない家庭にとっては難易度の高過ぎるお土産です。

料亭で出るようなもみじの天ぷらに挑戦するという手もありますが、
あれは1年間葉っぱを塩漬けすると言う下準備が必要なんですよ。
普通の家庭ではキツいでしょ…。

疑問に思い「もみじ」について調べると、新たな発見がありました。

もみじを狩ってどうすんの?

「もみじ」は元々「もみつ」という奈良時代以前から使われていた言葉。
その意味は「こうようする」だそうです。

平安時代には「もみづ」に変わり、さらに時代が進んで「もみぢ(じ)」と変化したとのこと。
ということは、もみじ狩りって「木々がこうようする様子」を狩るってことになりますよね。

「どうやって狩るんでしょうか?」

 

 

 

そもそも「狩り」の意味が違う!

紅葉狩りとは…

goo辞書によると「山野に紅葉をたずねて楽しむこと」
三省堂WebDictionaryによると「野山に紅葉を見に行くこと」

他の辞書でも調べてみましたが、ほぼ同じ意味が記載されています。
つまり「山に行って紅葉を見る」という行為自体がすでに紅葉狩りのようです。

お花見のように「紅葉見」とか「紅葉観覧」だとか言った方が通じやすいし
誤解も生まれないはず。

そもそも「狩り」の意味が違う!

外国人の方から日本語は難しいとよく言われますが、
日本人にとっても日本語ってムズカシイ…。

見る=狩りになった理由を探るべく、紅葉狩りの由来を調べてみましょう。

 

 

 

由来を奈良・平安時代まで遡ってみる…

今日本に存在する最古の和歌集「万葉集」に、紅葉の美しさを詠う物があります。
また平安時代の貴族の間では紅葉の美しさを歌にして詠み合う
「紅葉合(もみじあわせ)」が流行っていました。

この頃から紅葉は大人気だったようです。

しかし今と違い紅葉は街中には生えていないので、野山に出掛けなければなりません。
バスも電車も無い時代、山に入るのは簡単なことではありませんでした。

命を落す危険性すらあるわけですから、せめて食料など何らかの収穫は欲しいところ。

 

ですが、そんな一般人の思考とは違いこの頃の貴族たちの間で流行っていたのは、
いかに華やかな事を行うかです。食料にもならない紅葉のために、

貴重な時間や数多くの人を使って山奥に入ることは華やか(贅沢)な
事とされていたのでしょう。

由来を奈良・平安時代まで遡ってみる…

お供をたくさん従えて交通手段の悪い野山へ足を踏み入れ、
やることと言ったら紅葉を見て物思いに耽ってみたり、歌を詠んでみたり…。

そんな貴族達は紅葉観賞の事を、きのこ狩りや猪狩りと同じように山に入る事から
「紅葉狩り」と言い表したそうです。

収穫は、物ではなく心の中に思い出として残っているという事ですか?
『うーん、カッコイイ!』

 

 

 

紅葉狩りまとめ

現代では整備された山道を安全に歩けるようになりました。
紅葉狩りは交通費ぐらいしか掛からない安上がりなレジャーと言えます。

写真を撮ったり、お弁当を食べたり、
お友達とワイワイ盛り上がるのもいいでしょう。

しかしここはひとつ、静かに紅葉を愛でて貴族気分も味わいたいところです。

色付いた山々に囲まれ、
記憶の中にたくさんの美しい紅葉を狩ってみて下さい。

-
-