三社祭とは~歴史ある浅草寺の起源と三社祭の由来を探る~
三社祭とは、、その由来と歴史について…
毎年5月に東京・浅草神社で行われる「三社祭」。
その歴史は非常に古く700年の伝統を誇ります。
東京の初夏を飾る祭りとして毎年多くの人に愛され、にぎわってきました。
しかし、三社祭の歴史や由来について知っている方は、
意外と少ないんじゃないでしょうか?
そもそも浅草は浅草寺という「寺」と、浅草神社という「神社」がふたつ並ぶ、
不思議な場所でもあります。
宗教の違う建物があるなんて、誰も意識していないでしょう。
浅草寺の歴史から辿って行けば、三社祭の起源へとたどり着きます。
三社祭の歴史を知ると、もっとお祭りが楽しめますよ!
浅草寺の歴史から始まる三社祭
浅草寺ってどうやってできたの?
浅草に構える浅草寺は、都内で最古の寺院として知られています。
浅草寺ができたのは飛鳥時代までさかのぼり、
その歴史は628年ごろにはじまります。
その起源は、漁をしていた兄弟にまでさかのぼります。
隅田川の下流で漁をしていた
「檜前浜成・竹成(ひのくま・はまなり、たけなり)」兄弟が、
網に何度もかかる観音様を見つけ、
地元の有識者に魅せたところ「聖観世音菩薩像」であることが判明します。
その後、出家したこの有識者である「土師中知(はじのなかとも)」が
自宅にこの観音像を祀り、ここに浅草寺の歴史が始まりました。
次第にこの観音像に多くの参拝客が集まり始め、
小さな漁村だった浅草は次第に活気づくようになります。
浅草寺ができたおかげで、浅草という町が出来上がっていったんですね。
一つの観音像から町が出来上がっていくなんて、
なんだか不思議な気がします。
浅草神社の起こり
浅草神社も、浅草寺の創始者である土師氏から始まります。
平安時代末期、土師氏の末裔の枕元に観音様が立ち、
「なんじらの親と檜前兄弟を神様としてまつるように」と指示されます。
つまり、浅草神社の「三社様」は、檜前兄弟と土師氏の3人のことです。
この3人を祀ったのが浅草神社であり、
「三社祭」という祭りの名前になったんですね。
三社祭の起源とは
三社祭に関して最も古い記録は1312年と記されています。
「三人の神様が観音様とともにすごし、
神輿で浅草の様子をご覧いただく」というのが三社祭の本来の意図です。
その為、江戸時代までは浅草寺と浅草神社が合同で行う
「神仏混合」の祭礼としてとりおこなわれていました。
明治時代以降は浅草神社が執り行っていますが、
本社神輿が浅草を練り歩くという行事だけは変わらず行われています。
三社祭り開始から700年に当たる2012年、
神輿をのせた船が川を渡るという「船渡御(ふなとぎょ)」も行われました。
船渡御の様子
出典:nippon.com
昔は舟祭としての役割のあった三社祭が見事に復活した瞬間でした。
昔の三社祭は毎年でははく1年おきでしたが、
今では毎年行われており、浅草に住む方々との大事なコミュニケーションの
役割もはたしています。
三社祭は、浅草の方々の心と言ってもいいお祭りですね。
歴史あるお祭りですから騒ぐだけでなく、
祈りの心も一緒に持ちながらお祭りを楽しみましょう。
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